正直は一生の宝なりけり

正直は一生の宝なりけり

正直は一生の宝という格言があります。

格言というと回りくどい(というと失礼ですが)言葉が多いですが、

この格言においてはそのままの意味であり、正直である事を人生において尊いというものです。

確かに、それについては納得です。

正直というのは嘘を付かない事であり、嘘はいけない事というのは、

誰しもが幼いうちから親や先生に教えてもらう事ですよね。

正直なのは良い事。

これは共通認識ですが、良い事というのは『正しい事』では無いのかもしれません。

一見して言葉に矛盾を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、

もしかしたら誰しもが思う所があるかもしれません。

あなたは嘘を付いた事がありますか?

そう言われて、心から無いと断言できる人は、果たして何人ほどいらっしゃるでしょうか?

私は残念ながら、嘘をついた事はあります。

正直なのを美徳と知っていても、言い訳だと分かっていても、

そうするしかなかった、と言わざるを得ませんでした。

例えば会社などに勤めていたら、上司が「良い物だろう」と腕時計を見せてきた時、

ゴテゴテした装飾でお世辞にも良い物とは思えない時、

あなたはどういう風に答えますか?

恐らく多くの方は「そうですね」と答えるでしょう。

嘘はいけない事です。それは変わりません。

しかし、ここで「趣味が悪いですね」とあなたのセンスを信じて発言した場合、

果たしてどんな結果が待っているでしょうか?

恐らく上司は気を悪くするし、あなたも居心地が悪い空気を作り出す事になります。

些細な嘘、影響が無い嘘という言葉があります。

嘘を付くという事が悪い事なら、それに些細も無いかもしれませんが、

嘘を付く事で円滑に進む事柄があった場合、あなたはどちらが正しいと思いますか?

正当化すると言えばそうですし、何かに怯えての結論とも言えるでしょう。

しかし、社会というのは想像以上に建前と本音が行きかっており、

時には不本意な言葉を口にする方が結果として正しい事があるのも事実です。

特に人間関係が複雑な会社においてはそれが顕著ではないでしょうか。

円滑に回す為とはいえ、発言する全てが嘘にせざるを得ない会社であれば問題ですが、

嘘でもいいから、なんて言葉もあるくらいです。

正直に生きるのは素敵ですが、それは本当の自分で向かい合う時だけに作られた言葉かもしれませんね。

不老不死となって思う事は

外国においては今、驚きの研究が実を結ぼうとしています。

それはある意味、人間にとって究極の目的の一つかもしれません。

それは『不老不死』になる研究です。

一見して冗談のように聞こえますが、外国においてはその研究がかなり大詰めになっており、

老化や細胞の死の原因全てを解決する事により、外見も中身も一切老いることなく、

若いままで維持するというものでした。

早ければ二十年程度で研究が実を結ぶと言われ、

そこから先の人類は死すら無くなると言われていました。

これに関してはクローンのようにかなり賛否が分かれており、

人間は死を恐れると同時に、死という存在を知覚できないとならない存在だと思いました。

私はこの研究については全く現実味を感じられない為、

率直な感想としては夢物語を見ているような気分というのが一番です。

ゆえに大それた推論などは言えませんが、漠然と思うところはあります。

それは、死が無くなるという事は、人間は人間という生き物では無くなるんだろうな、という事です。

人間でなくなり、正確には生き物として認識するのも難しくなるのではないかとも思います。

人間が最も生きている事を実感できるのはいつだと思いますか?

それは死が最も身近になった瞬間では無いでしょうか。

そういう私自身が死に直面するほど危ない目に遭った事が無いので説得力に欠けるかもしれませんが、

人間の生き死にというのは最終的にそこに集約するんだと思います。

終わりが無いという事は新たな始まりが無いという事です。

不老不死になった人は終わりが一切無くなり、ずっと連綿と続く人生を生きる事になります。

人間の魂の転生や死後の世界については科学的には否定的な意見が飛び交っていますが、

それでも人間は自分の命が次世代に繋がって、そして消えていく事に一つの完結、安らぎを見出しています。

人間は本能的には死を否定すると言いますが、同時にそれは死を認識しているからこその否定であり、

肯定対象が無ければ否定する事すら出来なくなります。

そして死を肯定出来る時、それは幸福な『終わり』を迎えた時ではないでしょうか?

生死というのは終わらない議論の対象であり、私が今回書いた内容も整合性に欠け、

ニュアンス的なものになってしまい失礼しました。

ただ、死という終わりがあるからこそ、生が認識できる。

それだけはお伝えできればと思います。